【後編】この記事は2回に分けてお送りしています。
【前編】はこちらから
前回の『青学駅伝部のトレーナーとして気づいた子どもたちへのステイホームの影響』に続き、今回は男女の性差を考慮したトレーニングや、女性の産後ケアの重要性などについてお聞きしました。
日本におけるフィジカルトレーナーの第一人者である中野ジェームズ修一氏。卓球の福原愛選手やバドミントンのフジカキペア(藤井瑞希選手、垣岩令佳選手)など、多くの女性アスリートのトレーニングを手がけてきました。男性トレーナーがなかなか気づけない、女性アスリートとの性差とはどんなものなのでしょうか。
INDEX
PROFILE
中野ジェームズ修一 株式会社スポーツモチベーション 最高技術責任者
フィジカルを強化することで競技力向上や怪我予防、ロコモ・生活習慣病対策などを実現する「フィジカルトレーナー」の第一人者。卓球の福原愛選手やバドミントンのフジカキペア(藤井瑞希選手、垣岩令佳選手)、など、多くのアスリートから支持を得ている。2014年からは、青山学院大学駅伝部のフィジカル強化指導も担当。トレーナーとして多くのアスリートを指導するとともに、東京・神楽坂にある完全会員制パーソナルトレーニング施設「CLUB100」でパーソナルトレーナーとしても会員の指導を行っている。株式会社スポーツモチベーション最高技術責任者。
1. 福原愛の動画配信で初めて気づいた、女性アスリートの生理痛問題
選手を引退した後で福原愛が配信していた動画を見たのですが、そこで「生理痛がひどくて腹筋がすごくつらかったけど、トレーナーに言えずに我慢してトレーニングしていた」と言っていたんです。それを見て、本当にショックを受けました。今も申し訳なかったと思っています。
男性のトレーナーは、頭では「女性には生理がある」ということを知っていても、生理がどういうものかを本当には理解できていないんですよね。それで「アスリートなんだから生理でも大丈夫だろう」と思って指導していたんです。でも、彼女たちはとてもつらい思いをしていたんですね。フィジカルトレーナーはきちんと生理のつらさを理解して、意識しながら指導しないといけないと実感しました。
男性トレーナーがそのつらさを本当に理解することはできないかもしれませんが、「生理痛でつらい」と選手が申告できるようにしなければなりません。男性トレーナーに言いづらければ、女性トレーナーに言えるようにするなど、選手が気軽に言い出せる環境を作らなければならないですね。
2. 女性のQOLを上げる、産後ケアの重要性
アスリートでなくとも、女性にとって体のケアというのは重要なテーマです。フィジカルトレーナーは女性の体のメカニズムを勉強するべきです。男性と女性の体の違いにおけるもっとも大きな要素は“出産”と考えています。出産という人生の重大事項において、産前・産後のケアによって、その後のQOLを左右するほどの違いが出てきます。
女性は産前産後で体のメカニズムが変わってしまいます。逆に、産後6ヶ月は女性ホルモンが最大限に分泌することで骨格も変化し、ボディラインをイメージどおりに変えられる唯一のチャンスでもあります。ここでケアをしておかないと、体型が崩れてしまうこともあります。また、産後に尿漏れなどの症状が出る方もいますが、産後のケア次第で尿漏れしない体を作ることもできます。
女性にとって、産後ケアはとても重要なのですが、まだ日本ではそういう理解が進んでいません。女性は産後のタイミングを逃さずに、きちんとケアを行ってほしいですね。中国や台湾では、産後ケアの重要性が広まっており、ケア施設なども増えているようです。
3. 社員一人ひとりの健康支援のために、福利厚生として会社ができること
女性の産後ケアというのは、企業にもぜひ取り組んでもらいたい問題です。企業を支えている社員のなかには女性も多いはずですから、女性の産後のダメージを減らして、産後に働きやすい健康な体づくりを手伝うことは、企業のためにもなります。企業が、出産した女性が復帰しやすい環境をつくることが大事です。
もちろん社員の健康の重要性は女性だけに言えることではないので、社員一人ひとりの健康支援ができる活動も大事だと思います。よく企業の福利厚生で、フィットネスジムを安く利用できるチケットが提供されていますが、実はあまり活用されていないんです。このようなチケットではなく、企業が産後ケアなどができる施設などと提携し、個人指導を受けられる環境を作ってあげてほしいですね。「こういう施設と提携していて、こんなケアが受けられる」という情報を企業が発信するだけで、利用してみようという社員が増えるはずですから。
4. 運動支援を行うトレーナーに重要な三要素、共感・不安・不変
私が30年近くフィジカルトレーナーという仕事をしてきたなかで、トレーナーにとって大事だと思う要素が3つあります。それが、“共感”、“不安”、“不変”です。
まず“共感”ですが、選手やクライアントが目的を果たした時、その喜びに“共感”して自分も心から喜べるというのは、真剣に取り組んだという証です。本当に真剣に取り組んでいたら、泣いている選手と一緒に涙がでてくるはずです。
私にはメダリストのトレーナーになりたいという目標があったのですが、ロンドンオリンピックで福原愛がメダルを取った時、僕の目標も達成することができました。彼女と一緒に僕も泣いていたら、かつて“泣き虫愛ちゃん”と呼ばれていた彼女から「中野さん、泣きすぎですよ」と言われてしまいました(笑)。
次が“不安”です。トレーナーはいつも“不安”なぐらいのほうがいいと思います。トレーニングに100%の正解はないので、私は、毎回セッションが終わった後に「本当にこれが正解だったのか」と不安に思い、他の方法がなかったかいろいろ考えてしまうんです。常によりよい方法はなかったかと考え続けることは、自身の成長にもつながります。
最後が“不変”です。アスリートというのは、一般的に感情の起伏が激しいです。試合の勝ち負けや練習の状況などによって、会うたびに感情が違うんですよね。だからこそトレーナーはいつも同じ感情、同じ体調でいなければなりません。選手がトレーナーの変動に振り回されてしまうことが一番よくないですから。心も体調もいつも一定を保つことが大切です。
5. 顧客満足度の高いトレーナーに重要な“内発的動機づけ”
自分もトレーナーとして、さまざまなトレーナーを見てきました。そのうえで、トレーナーとして能力が高いと思う人は、トレーナーという仕事が好きだという気持ちが強く伝わってくる人ですね。それと、結果が出せること、結果を出すことにこだわることができる人でしょうか。クライアントのことを真剣に考えて、その人が結果を出せるようにベストを尽くし、クライアントの変化を自分ごととして喜べることが大事です。
「この仕事が好きだから取り組んでいる」という内発的動機づけで仕事をしているトレーナーと、「金銭や条件がいいから取り組んでいる」という外発的動機づけで仕事をしているトレーナーでは、やはり顧客満足度が高いのは内発的動機づけで仕事をしているトレーナーです。
しかし、最初から内発的動機づけのある人は少ないかもしれません。そういった場合でも、周囲の仲間たちが内発的動機づけで仕事をしていれば、外発的動機づけで仕事をしていたトレーナーも変わってきます。内発的動機づけの強いスタッフを育成するには、上司や周囲のスタッフが内発的動機づけを強く持っていなければならないでしょう。
私自身は、フィジカルトレーナーという仕事が好きで、トレーニングによってクライアントが目指す自分の姿に近づいていく様子に毎日幸せを感じています。既に、メダリストのトレーナーになりたいという夢はかなえることができました。ただ、今はまだ銅メダルと銀メダルだけなので、いずれは金メダルをとりたいですね。そして私の会社に所属している後進のトレーナーが、メダリストのトレーナーになれる環境を作っていきたいです。
私はトレーナーである前に、モチベーターとして人を奮い立たせる人でありたいと思っています。幸運にも、本を出したりメディアで話をしたりと、自分の思いや経験を多くの人に伝えることができるようになりました。私の話を聞いたり、私の指導を受けてくださったりしたことで、その方が動機づけされてやる気を起こしてくれたら、とてもうれしいです。