学習塾の「なかざわ・塾」を23歳の若さで立ち上げ、現在は8校を展開する有限会社N教育 代表取締役 中澤 理氏。個人塾として学習塾を起業した後、英語スクールやインターナショナルスクールへと事業を拡大し、幅広い教育事業を手がけています。バブル崩壊や新型コロナウイルス感染拡大といった逆境を乗り越えながら、なぜ同社は成長を続けることができたのか。これまでの歩みや成功の秘訣を中澤氏に訊きました。
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PROFILE
中澤 理 有限会社N教育 代表取締役/ANNIE..GLOBAL EDUCATION 代表
都留文科大学英文科卒業後の1993年に学習塾の「なかざわ・塾」を開塾。以来、長年感じていた英語教育の必要性から「英語スクールアニー」や「アニーインターナショナルスクール」も立ち上げるなど、教育事業を幅広く展開する。
2026年現在は、幼稚園、学校現場での指導のほか、自治体支援や学校との提携事業、教育コンテンツの企画・開発などにも取り組んでいる。 コンサルティングや会社研修、セミナー登壇も行うほか、自身の英語教育への熱い思いをまとめた「英語教育8つの窓」も出版している。
1. 「やるしかなかった」23歳、資金ゼロで学習塾を起業
—— 今や学習塾と英語スクールのほか、プログラミング教室など、多様な教育事業を展開されていますが、最初は学習塾から始まったのですね。
人に教えることが好きで、都留文科大学(山梨・都留市)の英文科に在学中は家庭教師のアルバイトをメインにしていました。教員を目指していましたが、採用試験に落ちてしまい、地元の愛知県へ戻りました。
叔父が塾を運営していて「手伝わないか?」と声をかけてくれたので、教員試験に再挑戦するうえでも良い経験になると、引き受けることにしました。しかし、その後「やはり自分で運営するべきだ」との話になり、勢いのまま自分で学習塾を立ち上げることになりました。
—— 大学を卒業したばかりでの起業は大変だったのではないでしょうか。
たまたま近所に閉校した塾があり、そこから机や黒板を譲ってもらうことができました。お祝いとして看板も中学校の同級生が無償で作ってくれたんです。当時はお金がなかったので、とても助かりました。そうして23歳のときに自宅の2階に「なかざわ・塾」という名を付け開塾しました。
—— 生徒はどのように集めたのでしょうか。
「開けば生徒が来るだろう」と安易に考えていました。集客の知識もなかったので、塾を名乗っただけで告知は近所のお店にチラシを置いたくらいです。1学年の定員12名という小さな塾として、親戚の子ども2名からスタートし、1年目の年商はわずか30万円でした。ただ、少しずつ口コミや紹介で生徒が増え、2年目は400万円、3年目は700万円と売上を伸ばしていくことができました。
—— 「英語スクールアニー」はいつ、なぜ始められたのでしょうか?
中学時代に英語のスピーチコンテストに出場したことをきっかけに、ネイティブの重要性をずっと感じていました。「英語スクールアニー」は30代半ばでスタートしましたが、当時、ネイティブを雇用している英語スクールはほとんどなく、すぐに評判となり、多くの人に来ていただけるようになりました。
2.「口コミで広がる」学習塾・英語スクールを作った3つのこだわり
—— 生徒2名から始まった「なかざわ・塾」を始め、グループとして14拠点へと拡大し、「英語スクールアニー」「アニーインターナショナルスクール」など様々な教育事業をさらに大きく展開されています。成長の要因はどこにあると考えますか。
大きく3つあります。
1つ目は少人数制へのこだわりです。 29歳のときに2階建ての校舎を建てましたが、規模を拡大しても12名の少人数制を維持していました。ただ、常に10名以上の入塾待ちが出るようになってしまったので、先生を大慌てでお願いし、なんとかもう1クラスを増設したということもありました。
2つ目は、入会面談を徹底していたことです。 一人ひとりに合った成長を促すため、それまでの勉強方法や成績を丁寧にヒアリングしていました。開塾当時は1人1時間ほど、生徒数が300名を超えてからでも最低30分はかけてしっかり話をしていたと思います。
3つ目は、「学びたい」という意欲を大切にしてきたことです。 希望されればできる限り、学年、教科、年齢を問わず受け入れてきました。必要とされているのであれば応えていきたい想いもありました。その姿勢は、現在の理念「学びたい。学ばせたい。その想いを大切にしたい」にもつながっています。
3. 不況でも成長する教育事業、逆境で攻める経営判断
—— 経営判断で意識してきたことはありますか?
売上が悪いとき、景気が悪いときにこそ、攻める姿勢を貫いてきました。開塾4年目はバブル崩壊の後で、多くの企業が事業を縮小していました。そのなかで、1人で始めたにもかかわらず銀行の融資を積極的に受け、28歳で土地を購入し、29歳で2階建ての校舎を建てました。不況時に、愛知県全域にどこも出していない大きなサイズのチラシを配布したこともあります。周囲が守りに入るときこそ、動くこと、攻めることが大事だと考えています。
—— コロナ禍も大きな転機だったのでは?
売上は25%ほど落ち込みましたが、市内で一番に雇用調整助成金を申請し、仕組みを大きく変え、オンラインレッスンやオンライン決済システムを導入しました。さらに、新事業として、今、メイン事業ともなっているプログラミング教室もスタートさせました。何事も「早く動く」ことが重要だと考えています。
—— ラジオやBリーグのスポンサーなど、メディア展開も積極的ですね。
どんなに良い教育を提供していても、認知されなければ伝わりません。認知度は保護者の安心感にもつながります。だからこそ、メディア対応にも早めに取り組んできました。その結果、メディア関係者とのネットワークが広がったことも、事業の拡大につながった1つの要因かもしれません。
4. 7割は仕組み、3割は人──教育事業を伸ばす経営設計
—— 事業が拡大し、経営者である中澤さんが直接生徒を指導することがなくなった今、スタッフに自身の理念をどのように伝えているのでしょうか?
「やり方」次第だと思っています。運営を、「仕組みで回せること」と「人が対応すべきこと」に分けると、私は7対3ほどになると考えています。7割はシステムでカバーし、残りの3割に人の力を集中させる。この設計にすることで属人性が減って私の理念が伝わりやすくなるほか、人の力も存分に発揮できるようになります。万が一誰かが動けなくなったとしても、仕組みがまわれば、安定的な運営にもつながります。
また、当社ではいち早くGoogle Workspaceを導入し、入社時に必要なアプリケーションを入れたタブレット端末と専用携帯を支給しています。このようにすることで、「個人LINE禁止」などルールで縛る必要もなくなりますし、研修時間も短縮できます。塾業界ではまだアナログな運営も多い中、ここまで業務をシステムで設計しているのは珍しいのではないでしょうか。
—— 今後の展望について教えてください。
最近始めたマネー教育に注力していくのと、メタバースでの教育事業へも取り組んでいく予定です。教育業界のインフラとなるように、全国に提供していきたいと考えています。
日本は、学べる環境が当たり前すぎて、いつでも学べる分、学ぶ意欲が弱くなっていると感じます。だからこそ、これだけ日本も様々な国の人々が増えてきた今、グローバルな視点で切磋琢磨していくためにも、もっと意欲的に、結果を出していくことで課題を乗り越えられる「力」を、教育で育てていきたいです。
—— ほかの教育事業者に伝えたいことはありますか。
新しいことに挑戦することも大切ですが、教育の本質は反復学習にあります。繰り返し学ぶことでしっかりと身に付けることができるうえ、教える側としては、自信なさげに答えていた子が、自信をもって話ができるようになったというだけでも、その子の成長度合いが図れます。だから当社では、同じことを繰り返すという方法を基本に据えて学ばせています。
野球でも、キャッチボールを繰り返さずにいきなりプロにはなれません。繰り返すことを停滞と思わないこと。それが成長につながるのだと考えています。
