【前編】この記事は2回に分けてお送りしています。
【後編】はこちらから
日本におけるフィジカルトレーナーの第一人者として、卓球の福原愛選手やバドミントンのフジカキペアなど、多くのアスリートを指導してきた中野ジェームズ修一氏。1990年代にアメリカでパーソナルトレーニングと出会ったことをきっかけに、自身もパーソナルトレーナー(対象者をマンツーマンで個人指導するフィジカルトレーナー)として活動するようになった中野氏は、20年以上にわたり、幅広い年代、プロ、アマなどさまざまな状況にある人々のトレーニングを手がけてきました。
2014年から青山学院大学陸上競技部長距離ブロック(以下、青学駅伝部)のフィジカル強化指導も担当する中野氏は、コロナ禍でステイホームを余儀なくされた成長期の子どもたちの運動・健康について危機感を覚えているといいます。本記事では、子どもたちの運動参加や指導者の育成についてなど、フィジカルトレーナーとしてアスリートの体を見続けてきた中野氏だからこそ感じている問題について、お聞きしました。
INDEX
PROFILE
中野ジェームズ修一 株式会社スポーツモチベーション 最高技術責任者
フィジカルを強化することで競技力向上や怪我予防、ロコモ・生活習慣病対策などを実現する「フィジカルトレーナー」の第一人者。卓球の福原愛選手やバドミントンのフジカキペア(藤井瑞希選手、垣岩令佳選手)、など、多くのアスリートから支持を得ている。2014年からは、青山学院大学駅伝部のフィジカル強化指導も担当。トレーナーとして多くのアスリートを指導するとともに、東京・神楽坂にある完全会員制パーソナルトレーニング施設「CLUB100」でパーソナルトレーナーとしても会員の指導を行っている。株式会社スポーツモチベーション最高技術責任者。
1. 青学駅伝部の新入生を見て気づいた、子どもの身体発達におけるステイホームの影響
私はフィジカルトレーナーとして、アスリートのトレーニングを担当したり、実業団チームや大学チームのサポートなどを行っています。監督やコーチ、アスリートの要望を聞き、強化したい部分をトレーニングするメニューを作ったり、ウォームアップからアフターケアまでのメニューを作ったりと、その選手・そのチームのパフォーマンスを上げるために必要なトレーニングを総合的に提供するのがミッションです。2014年からは青学駅伝部のフィジカル強化指導も行っています。
約10年間にわたり、青学駅伝部の新入生のフィジカルチェックを行っているのですが、今年の新入生全員が、筋肉や腱の反発が弱かったんです。なぜかと考えてみたところ、コロナ禍のステイホームが影響しているんですね。今年の1年生は、もっとも筋・骨格系が発達する16〜18歳というゴールデンタイムに、外に出て歩くなど、あまり体を動かしていないんです。成長期のピークの時に身体活動が減ると、こういう体になるんだと驚きましたね。これは他競技の他大学でも同じことが起きています。
外見だけ見ればきちんと成長しているのですが、筋肉や腱の発達には、これまでと大きな差が出ているように思います。アスリートとしてトレーニングを積んでいる陸上選手でもそうですから、普段から運動習慣のない子は、学校のために外に出たりせずにいれば、もっと弱くなっているはずですよね。
2. 成長期の子どもにとって大切な運動・食事習慣
成長期の子どもの発達には運動習慣が大切なんです。子どもは体を動かすことによって発育し、発達していきます。赤ちゃんが足をバタバタさせたり、寝返りしたり、ハイハイしたりするのは、すべて骨格形成に重要な過程なんです。それから複雑な動作ができるようになって、11歳までの間に脳神経系が発達します。そして12歳から14歳までに走ったり飛んだりすることで呼吸器系、循環器系が強化されます。その後に筋骨格系ができあがってくるんですね。各年齢ごとに人間の機能のどこが強化されるのか、成長過程が決まっているんです。
それと、子どもの発達には食べ物も大切です。骨密度と関係してくるので、なるべく手作りの料理を食べさせてほしいと思います。
選手のなかにはすぐに疲労骨折してしまう選手もいれば、どんなにトレーニングしても疲労骨折せず、これまで骨折したことがないという選手がいます。骨折したことがないという選手に聞いてみると、「父親がシェフで、できあいの惣菜やお弁当を食べたことがない」と言うんです。
インスタント食品やコンビニの食品にはリンが多く含まれているので、そればかりを食べていると、どうしても骨が弱くなってしまいます。もちろんそれぞれ家庭の事情もありますし、お惣菜やインスタント食品が悪いと一概には言えないですが、そういう弊害もあることは知っておいた方がいいと思います。
特に15〜18歳頃には、骨を強くする食生活に気を配ってほしいですね。ピークボーンマス(一生のうち最も多い骨量)を最大にするには、この年代に摂取する食事の成分が重要になります。ピークボーンマス以降は、骨量は減っていくばかりになりますから、この時期に骨形成をしっかり行い、骨量を増やしてほしいと思います。
3. 日本のスポーツ現場における指導者育成・トレーナー制度導入の重要性
コロナ禍を経て、子どもたちの体が弱くなっているといったことは、青学だけでなく、他の学校でも同じ状況だと思います。しかし、一般にはあまりその状況は広まっていないんですよね。私は10年にわたって同じ種目でほぼ同じ対象者の“フィジカル”にフォーカスして見ているから気づけたのでしょうが、競技面を中心に見ている監督やコーチではなかなか気付かないかもしれません。日本ではほとんどの部活動にフィジカルトレーナーはいませんから。
日本では、スポーツ指導者自身が、正しい指導を受けてきていない場合もあります。陸上や体操などでは痩せている方がいいとされるため、コーチに「白米を食べてはだめ」と言われ続けて、栄養不足で慢性的に疲労骨折をおこしてしまう摂食障害の選手もいます。そういう間違った知識で選手を教えている指導者がまだいるというのが実情なんですよね。
サッカーや野球などの指導者などはライセンス制になっているので、そこで体づくりや障害論、栄養学などの知識を身に付けられます。しかし、陸上などの競技にはそういったライセンスは今のところありません。
そこで今、自治体と一緒にスポーツ指導者向けの講習会などを行ったりもしています。今後は、部活などを含めたスポーツの現場に、監督・コーチだけではなく、フィジカルトレーニングを指導できるトレーナーをつけなければならないという環境になってくれればいいと思っています。
4. 本場・アメリカのフィジカルトレーナー事情
私はもともと水泳選手で最初は水泳の指導を行っていたのですが、幼いころから自然と泳げていた分、泳げない方の気持ちにうまく寄り添うことができず、水泳の指導者には向いてないと気づきました。方向を転換しフィジカルトレーナーという職業につこうと1990年代にフィットネスの本場であるアメリカのロサンゼルスに行き、パーソナルトレーナーという職業を知りました。帰国後、日本でパーソナルトレーナーを始めたのですが、最初はフィットネスジムの方にも“パーソナルトレーナー”というものを理解してもらうことすらできませんでした。
今でこそ日本でもフィジカルトレーナーの存在が認知されてきましたが、まだまだアメリカとは状況が違います。アメリカでは、学校のクラブにもフィジカルトレーナーがいて、学生たちを指導しています。フィジカルトレーナーを育成する環境も整っていて、学校のクラブチームがフィジカルトレーナーの実習先となっているんです。学生もトレーニングをみてもらえるし、フィジカルトレーナーが経験を積むこともできます。日本でもやっとここ数年で同じような環境が出来つつあります。
アメリカにはフィジカルトレーナーが活動できる基盤があるんですね。日本のフィットネス人口は3%ですが、アメリカは18%と言われています(※)。日本はまだフィジカルトレーナーの需要が少ないという状況がありますね。
この記事は前編・後編に分けてお届けします。後編では、中野ジェームズ修一氏が重要性を感じている「男女の性差を考慮したトレーニングや、女性の産後ケアの重要性」についてお伝えします。
>後編へ続く
※出典:IHRSA「International Health, Racquet and Sportsclub Association」 2018