この記事は、2回に分けてお届けしています。
前回の「経営者として描くスポーツ教育の未来像」に続き、今回は北島 康介氏が手掛ける「スポーツと日本社会の”新たな関係”」を構築するプロジェクトについてお伝えします。
北島 康介氏は、現役選手であった2009年に株式会社IMPRINTを立ち上げ、引退後も同社を起点に、スポーツ習慣の社会浸透に関するさまざまな事業を展開しています。東京都水泳協会の会長であり、事業家としても精力的に活動を続ける同氏に、「スポーツ習慣の社会的浸透」を推進するプロジェクトについて聞きました(2023年3月9日取材)。
INDEX
PROFILE
北島 康介 株式会社IMPRINT 代表取締役社長兼 CEO
アテネ・北京両五輪金メダリスト。2004年アテネ五輪では100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得。2008年北京五輪でも両種目で金メダルを獲得し、日本人唯一となる2種目2連覇を達成。2012年ロンドン五輪では、4x100mメドレーリレーで銀メダルを獲得するなど五輪を始めとした多くの国際大会で活躍。2016年4月の五輪選考会で競技活動を引退。引退後は、東京都水泳協会の会長を務め、自身の冠大会「KOSUKE KITAJIMA CUP」を開催。また、2020年からはインターナショナル・スイミング・リーグ(ISL)のTokyo Frog Kingsのゼネラルマネージャーを務めている。
1. スポーツ習慣の社会的浸透の第一歩は「やってみる」場の提供から
――北島さんが手掛けているプロジェクトでは、運動やスポーツに取り組める場づくりを重視しているようにお見受けしますが、そこにはどのような想いがあるのでしょうか。
欧米では、幼少期からさまざまな運動やスポーツに触れる環境があることで体を動かすことが習慣化され、大人になってからも継続して気軽に楽しんでいる人が多い印象ですが、日本は違いますよね。日本では、運動やスポーツを気軽に楽しめる環境が少なく、海外に比べて体を動かすことが習慣化していないように感じています。まずはその環境から変えていきたいという想いから、運動やスポーツに取り組める場の提供を進めています。
2022年12月20日に実施したイベント「TOKYO UNITE キッズスポーツフェス in両国国技館」では、小学生を対象に、アスリートと触れ合いながら、さまざまなスポーツが体験できる場を提供しました。体験することで感じた「運動って楽しい」「この競技は得意かも。もっとやってみたい」「選手と話せてうれしい」といった想いは、成長してもずっと記憶に残ります。それがフックになって、大人になってからも継続して運動やスポーツを楽しむこと、つまりスポーツの習慣化につながっていくと考えています。
日本では、欧米などと比べて運動やスポーツに取り組む人がまだまだ少なく、そこに大きな伸び代を感じています。体を動かすと脳が活性化され、心身に良い影響がもたらされることは科学的にも証明されていますし、社会的な課題である健康寿命の観点からもスポーツの習慣化は重要なので、より多くの方にアプローチするべく、自治体や大学、企業との連携を深めています。
2. 「体を動かすこと」が生活の一部になるための仕掛け
――マンションの住民に向けた、スポーツや健康を促進するサービス「SPOLUTION」の構想は、どのように生まれたのでしょうか。
こちらから「運動やスポーツは、健康にいいですよ。やりましょう」といくら訴えかけても、取り組んでくれる方の数には限界があると思っています。運動やスポーツを習慣化するためには、実際に体験してその良さを実感してもらうことが重要なので、暮らしのすぐそばに運動やスポーツに触れる場を用意すれば「やってみたい」という気持ちがより醸成されるのではないかと考えました。
「SPOLUTION」では、スポーツの力で社会課題や事業課題、施設課題を解決することを目的としています。具体的には、マンションの住民とアスリートやインストラクターを繋げ、スポーツやフィットネス、英会話などのさまざまなコンテンツをマンション内にある施設で提供しています。従来のスポーツジムやカルチャースクールと違って、入会金や利用回数の制限もないので、より気楽に好きな講座に参加することができます。参加へのハードルを下げるために、参加予約やレッスン代の支払いなどの手続きもオンラインで完結できるようにしました。管理システムは、画面の操作がわかりやすく、ウェルネス業界での実績が豊富だった「hacomono」を導入しています。hacomonoが取り組んでいる「時代を先取りする最先端サービスを活用して、日本社会にスポーツや運動を根付かせる」という活動は、まさに僕たちの目指すところと合致しているので、一緒に取り組んで行くことに決めました。
2022年5月にサービスを開始した一棟目のマンション「パークビレッジ南町田」が大変好評で、2023年6月には、二棟目となる「リビオシティ南砂町 ステーションサイト」への入居募集も始まります。今後も、つくばや八王子、八千代村上、稲毛の地域で4棟の導入がすでに決まっています。「SPOLUTION」で得たマンションコミュニティへの取り組みの経験やスキルを生かす形で、自治体や大学、企業などとの連携も進めています。
――稲毛区(千葉県千葉市)においてウェルビーイングなまちづくりを目指す「稲毛コレクティブ・インパクト」にも参画されていますが、こちらではどのような役割を担うのでしょうか。
稲毛周辺エリアでの産学官民連携による社会課題解決に取り組み、将来的なコレクティブ・インパクトの実現を目指す社会実験になります。千葉大学の「カレッジリンク・プログラム」をはじめ、留学生との国際交流、長柄町との都市農村交流などの機会の提供を通して地域とつながり、住民の学びを深める新しい暮らし方を模索していくプロジェクトです。
具体的には、まず稲毛区の住民の方に向けて、運動やスポーツをはじめとする幅広い学びのコンテンツを提供し、地域住民の健康に貢献していきます。それから先は、稲毛区以外の地域に対しても「地域住民の方が、健康で充実した生活を送れるようになるために必要なこと」を突き詰めて考えた上で、コンテンツを提供していきたいと考えています。
「SPOLUTION」「稲毛コレクティブ・インパクト」といった運動やスポーツに取り組む場を提供する事業はまだまだ始まったばかりですが、ニーズや成長の可能性は十分にあると考えています。実際に、「面白い取り組みだね」とお声がけいただく機会も確実に増えているので、今後も各社に協力を仰ぎながら、プロジェクトの発展に注力していきます。
3. 運動やスポーツをする姿が当たり前になる社会の実現
――「SPOLUTION」プロジェクトでは、「ウェルビーイングな社会を目指す」というメッセージを発信されていますが、北島さんが考える「ウェルビーイングが実現されている状態」とは、どのような状態でしょうか。
「ウェルビーイング」の意味合いが広いため、解釈が難しいですが、大きく2つあります。1つは、フィットネスクラブやジムなどの屋内施設で運動することはもちろん、屋外でも運動する光景が当たり前のように見られる状態だと考えます。日本でも、屋外でランニングをしている方はよく見かけますが、海外では、ランニングだけでなく、ヨガや太極拳など、さまざまな運動やスポーツに取り組んでいる姿が見られます。日本の屋外でヨガや太極拳をやると、怪訝な顔で見られますよね。運動する人とその周囲の人の双方にとって、「屋外でも運動することが当たり前の光景」になることがまず必要です。屋外でのランニングが普及した結果、東京マラソンのような世界からも注目されるビッグイベントが生まれ、ランニング愛好者がさらに増えるといった良い循環が、他の運動やスポーツでも次々と生まれる環境になることが理想です。
もう1つは、体だけでなく心も豊かな状態であることだと考えます。少し前から、メンタルヘルスという言葉がよく聞かれるようになりましたが、心の健康も重要視されるようになってきています。運動やスポーツが日々の暮らしの中に定着し、心身ともに健康な方が今よりも増えている状態が理想ですね。
同様に、アスリートのメンタルヘルスも重視されてきていますが、とてもいい流れだと思います。競技者として苦しむ瞬間は絶対にあるので、それをうまく外に逃せるようにすること、つまり「競技の結果だけを求めすぎないこと」「自分に期待しすぎないこと」が重要だと、僕は考えています。
――今後のスポーツ振興に関する事業の展望をお聞かせください。
「SPOLUTION」や「稲毛コレクティブ・インパクト」のプロジェクトは、まだスタートしたばかりなので、今後さまざまな課題が出てくると思いますが、これまで手掛けた事業で培った知識、経験、人材などを活かして、一つひとつ改善し、活動を普及させていきたいと考えています。
競技を引退してから7年ほど経ちますが、ありがたいことに今でもたくさんの方が僕のことを覚えていてくださいます。自分が広告塔になって運動やスポーツの魅力を発信し、社会問題の解決に向けた取り組みやスポーツ振興を推進できるように、これからも注力していきます。
最後に「北島康介を一言で表すとしたら」とご質問したところ、「進」といただきました。「コロナ禍で止まってしまっていた世の中が、また新たに動き出した」という時流も踏まえ、記された一文字です。
(取材・文:本庄 尚子 / 撮影:塩川 雄也 / 文・編集:松居 恵都子)