【前編】この記事は2回に分けてお送りしています。
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浦和レッドダイヤモンズをバンディエラとして牽引し、日本代表のボランチとしても活躍した鈴木 啓太氏は、現役引退の数ヶ月前に、トップアスリートの腸内細菌を研究するスタートアップ「AuB(オーブ)株式会社」を立ち上げました。研究対象はアスリートの「便」。ツテをたどって採取し始めた検体は現在2,200を超え、世界の研究機関から注目を集めています。研究データをもとに、フードテックやヘルスケア事業を展開している鈴木氏に、お話を聞きました(2023年5月18日取材)。
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PROFILE
鈴木 啓太 AuB株式会社 代表取締役
1981年、静岡県出身。東海大翔洋高を経て浦和レッドダイヤモンズに入団し、以来15年にわたって浦和一筋でプレー。2015年10月、翌年1月の現役引退に先駆けてAuB株式会社を設立。「すべての人に、ベストコンディションを。」をミッションに掲げ、2020年に新種のビフィズス菌を発見。京都大学などの各研究機関やハナマルキ、京セラといった企業との共同研究に取り組みつつ、腸活サプリメント『aubシリーズ』を通して人々の腸内環境改善に寄与している。
1. 「サポーターと母の言葉が事業の出発点」売上よりも研究成果を求めた創業時
――鈴木さんは、現役ラストシーズンとなった2015年10月にAuBを創業し、アスリートの便から腸内細菌を解析する事業をスタートされました。セカンドキャリアで起業するアスリートは多いですが、「研究開発型の事業」を選択する方は珍しいように思います。どのような理由からでしょうか。
端的に言ってしまうと、研究を中心事業にすることの難しさがよくわかってなかったからです(笑)。プロサッカー選手になる時も「プロとして成功できる確率は……」みたいなことは考えず、「プロになりたい」という思いだけでした。事業計画がどうとか、売上がどうとかということを抜きにして思いだけでスタートさせたので、改めて大変な道だったなと思いますね。ただ、思いは絶対でした。
――具体的には、どのような思いだったのでしょうか。
僕はサッカー選手として自分のコンディショニングを大切にしていましたが、現役時代、長年クラブを応援してくださっているサポーターの方から「年をとって、本気で応援するのが体力的に難しくなってきた」「年を取ると、スタジアムに行くのも大変なんです」という話を聞いて、コンディショニングはサッカー選手だけではなくてすべての人々にとって大事なものだと気づいたんです。
「どういう形にすればコンディショニングの大切さを多くの人に伝えられるんだろう」と考えたとき、ふと思い返したのが幼少期から母に言われていた「人間は腸が一番大事だよ。だから毎日うんちを見なさい」という言葉でした。小さい頃からおなかの調子を考えた食事や生活習慣を母に提供してもらい、サッカー選手になってからも実行していたおかげか、アテネオリンピックの最終予選で日本代表としてドバイに海外遠征した際、大半の選手たちがお腹を下すなかで、僕はいいコンディションで試合に臨むことができた、という経験もしました。
そういうことを思い返したときに「絶対にこれだ」と。腸とコンディショニングの関連性を研究して、何かしらのソリューションを提供したら、サポーターの人たちがいつまでも元気にスタジアムに通ってくれるだろうなと想像したんです。事業計画や売り上げ、会社の規模などといった事務的なことを抜きにして「これはやるべきだ」との思いから立ち上げたのがAuBです。今考えれば非常に無謀だなと思いますし、当時の自分に「もう少し計画性を持ってやろうね」と言いたいところもありますけど(笑)。
――AuBのプレスリリースを拝見すると、創業メンバーから「商品を発売して利益をあげたほうがいいのでは」という声が挙がる中で、鈴木さんは「まずは研究成果を出してから」と譲らなかったというやりとりがあったそうです。まずはしっかりと足元を固めることが先決だという思いがあったのですね。
まず売れる商品を開発し、資金の土台を作ってから研究を進めるというやり方も当然あります。ですが、僕は、しっかり研究をして、世の中に自信を持って出せる成果を持つことが社として何よりの自信になると考えていたので、研究を優先させました。現在、AuBが所有しているトップアスリートの検体数は2,200以上になりますが、この検体数はおそらく世界一ですし、今後も抜かれることはないだろうと思っています。
――ちなみにアスリートからの検体、つまり便の提供を受けた第一号は、ラグビーの松島幸太朗選手だったそうです。以後、検体の収集はスムーズに進んだのでしょうか。
……ぜひご想像していただきたいのですが、友人に「うんちをちょうだい」と言って、すぐに「いいよ」と言ってもらえるでしょうか? 簡単ではありませんよね(笑)。
――おっしゃるとおりです(笑)。
変な話ですけど、僕個人が楽しむためだったら、すぐに提供してくれると思うんですよ。ですが、調査結果をデータベース化して、それをもとに事業をすると言われたら「なぜ自分が渡さないといけないのか?」と警戒した反応になるのは、ごく当たり前のことだと思います。検体収集のハードルは非常に高かったのですが、AuBの思いとビジョン、実現したい社会や未来に共感していただいて検体を提供していただいているのではないかと思っています。本心はわからないですけどね。「あいつ、なんなんだろう。気持ち悪いな」って思われていたかもしれません(笑)。
2. サッカー外の見識を広げるために積極的に人に会いに行った現役時代
――鈴木さんは現役中、いわゆる“セカンドキャリア”についてどのように考えられていましたか?
ある日本を代表する選手が「サッカーだけで終わるつもりはないです」「サッカーは人生の一部」といったことを話しているインタビューに感銘を受けたのが、セカンドキャリアに目を向けた最初のきっかけです。僕は当時「30歳までサッカーを続けられたら、素晴らしいサッカー人生だな」と考えていましたが、その話を聞いて以来、30歳から先の人生についても漠然と考えるようになりました。まずは、いろんな仕事をしている人とお会いして、会話をして、サッカー界という狭い世界にしかいない自分の見識を広げようと思いました。
――大切なことですね。新しい世界を知ることで、今までになかった選択肢も生まれてきますよね。
交流がきっかけで、「クラブ経営ってどんな感じなんだろう」とも考えるようになりました。引退後もサッカー界に残るとしたら、監督やコーチになる、メディアの仕事をする、クラブを経営するといった選択肢がありますが、その中で「一番おもしろそうだな」と思ったのがクラブ経営でした。
僕が在籍していた当時の浦和レッズは、他のクラブが50億、60億円程度の売上高だった状況で、80億円弱の売上があり、すごいクラブだと言われていたんです。でも、世の中には全然名前が知られていないのに、100億円を売り上げている会社もたくさんある。まだまだプロスポーツには可能性があるなと思いましたし、エンターテインメントとしてのサッカーに別の何かを掛けあわせることによって、売上の規模をより大きくできるのでは、とも考えましたね。そして30歳が近づいたころ、「スポーツとの相性がいいヘルスケアや健康の領域を掛け合わせるのはどうだろう」と考えるようになりました。
――今でこそ「アスリートも視野を広くしよう」といわれるようになりましたが、当時はまだそのような考え方は当たり前ではなかったのではないでしょうか。
そうですね。「サッカーの練習だけしてろ」ってよく言われていました。でも、何かあっても誰かが僕のお尻を拭いてくれるわけじゃないし、何を言われても自分次第だとは思っていました。プロである以上、結果を出さなければ文句を言われるのは当然ですし、結果を出すために何をすべきか、常に考えているという自負はあったので、何を言われても「おっしゃる気持ちはよくわかります」くらいにしか受け止めませんでした。
3. 「いいストライカーが多い=いいチームではない」現役時代に得たビジネスのヒント
――事業を立ち上げ、会社を運営するうえで、サッカー選手としての経験が生きていると感じることはありますか。
そうですね………。「目標に向かって突き進んでいくこと」ですかね。会社の経営をなんとか8期続けられていますし、それを支える思考力やプロセス構築力、忍耐力は、「サッカー選手になりたい」と思い、その目標に向かって工夫して達成した経験や、その過程で鍛えられたのではないかなと。
――アスリートは一般の人よりも「課題にきちんと向き合い、それを乗り越えて結果を出す」というプロセスを丁寧に踏んでいるイメージがあります。
サッカーという競技の特性もあると思います。サッカーは、自分が点を取らなくても試合に勝てるので、「今いる人材で、どのように試合を進めていくか」がすごく重要な競技です。要は「個人で勝つ」のではなくて「チームで勝つ」ことを考えさせられるんですね。どれだけ優秀なストライカーがいても、ボールを供給するメンバーや守備ができるメンバーがいなければチームとしては成り立たない。会社も組織であり、チーム戦なので、同じことが言えます。サッカーを通して学んだものは大きかったように思いますね。
ただ、サッカーから学んだことをビジネスに言語変換しようとしても、知識がないと変換できないんですよね。精神やマインドは変換できたとしても、スキルの部分はやっぱり一から学ばなければいけないところで、僕自身、まだ学んでいる最中です。
――オシム氏をはじめとするさまざまな名指導者のもとでプレーをされてきましたが、彼らのマネジメントスキルが会社経営に役立つことはありますか。
かっこよくお答えできればいいんですが、指導を受けた方々のレベルにまだまだ追いついていない、というのが現状です。いいお手本からさまざまなことを学んできたはずなのに、それを生かせていないと痛感しますし、僕のこれからの課題かなと。もう少し経ってから「こういうことが生きてきたんです」と言えるようになっていたいですね。
この記事は2回に分けてお届けします。後編では、鈴木 啓太氏が「AuB社として、社会全体を幸せにするために取り組んでいる事業や活動」についてお伝えします。
(取材・文:青木 美帆 / 撮影:塩川 雄也 / 編集:松居 恵都子)